今日は私の69回目の誕生日ということで、何と!来年には70歳に到達することとなります。一人暮らしになった12年前の突然の方向転換によって、渡里地区内に限った環境の中を基本とする行動範囲と決め、それまでの友人や知人との交流も停止し、新たな生活のルールを作り実行するというものでした。その基本となるものが地域自治会のお手伝いにのみ専念するというものでしたが、「よそ者」という理由で相手にしてくれることなく過ぎ去った3年後から次々と繋がりを見せ、現在は複数の団体の補助金の申請と報告書等の作成を行っています。月曜から金曜日までは午前9時から午後1時の4時間を、渡里市民センター内の渡里住民の会を始めとするボランティア団体の活動拠点であるコミュニティールームで事務作業等を行い、午後からは完成した文書などを関係者や関係部署へお届けしたり、自宅に戻り花の世話などを行うなど忙しい毎日を過ごしています。
 この渡里という地に住んで早や49年の月日が経ちますが、母親が病死した翌年に気分転換を兼ねて引っ越してきました。当時、お向かいに住んでおられたスナック経営者さんから紹介されてのものでしたが、ほかに結び付く縁があるわけではなかったことから、偶然がこの地を私の安住の場として導いてくれたのかも知れません。
 この49年間は学生時代の生き甲斐を見つけ出す目的の、各種アルバイトや数多くの人と語り合うことから始まり、その後の社会人となってからはその生き甲斐に没頭するための資金稼ぎのために働くということをひたすら続けてきました。小中高は勉強は嫌い!スポーツも嫌いという学校教育に従わぬ児童・生徒でしたから、成績は最悪!目標も無しという状態でした。ところが大学へ行ったところ自由な環境の中だったことから、学生という身分保障の中で様々なことへチャレンジし、人生の生き甲斐を見つけ出そうという目的が生まれました。その後の8年間は現在も続ける基本的な私の考え方「好きなことのみを選択し他人に迷惑は掛けない」を念頭に、一年365日アルバイトを通した資金稼ぎと知識を深めるため勉強を続けました。お陰で勉強嫌いで通してきた私が、間口も奥行きも深い知識を次々と吸収していった結果として、高級品を扱う専門店を掛け持ちで担当するメーカーの派遣社員として、高給で優遇された学生時代を過ごすことが出来ました。当然のように卒業はできる訳のない状況でしたが、何故かお世話になった教職員の方々から、ひと頑張りして卒業してみないかとのお話があり、追試や論文提出等の資料探しで神田の書店巡りを行った期間が唯一学生らしい生活を送りました。現在交流のある方々の中にも教職員を経験されてきた人が多くいることから、日頃から会話の内容に注意することを心掛けていますが、長年落ちこぼれだった私でもきっかけに出会えれば頑張ることができましたので、この年齢でこの知識?と見放さずに長い目で見てください。