4度目のダイエットに挑戦しました。以前の3度に渡るダイエット失敗の影響か、当時の体重は103kgプラスαでした。プラスαというのは、以後の体重は量っていないので不明ということです。一度目は、20代後半に暴飲暴食からか80kgになり、6ヶ月ほどかけて73kgまで減量しました。しかし、目標を75kgとしていたため「達成」という成果を「自信!」として持ってしまったことで、再び暴飲暴食の毎日に戻ってしまいました。当時の食生活は今からすれば「凄まじいもの?」でした。朝食は勿論ぬきで朝昼兼用の食事は「超?大盛り」のナポリタン・スパゲティで居合わせたお客さんが「ビックリ?するほどの大盛りなんです。」それを午前11時頃に食べた後、午後の1時頃に近くの「そば屋」から出前でカツ丼とタンメンと餃子を毎日食べていました。時折、カツ丼が中華丼に替わることはあっても毎日こういう食生活を送っていました。この生活を丸3年続けましたが、さすがに体調を悪くしてしまいました。勿論、病名は「通風」をはじめとするいくつかの贅沢病が名を連ねました。この頃は、サラリーマンなんですが「一年365日休日なし?」という何とも理解できない状況の立場にありました。肩書きは「副支配人」というものなんですが、金庫を始め「あらゆる鍵」を預けられているので常に対応しなければならず?真夜中に、消防署からの電話で起こされて「事務所のあるビルまで駆けつける」などということも日常茶飯事でした。この頃はアルコールの量も半端ではありませんでした。当時は、一人暮らしでしたから毎日、行きつけの焼き鳥屋で特大ジョッキの生ビールを5杯と焼き鳥を20本ほど平らげてから帰るのが日課でした。日課といっても「焼き鳥屋」には迷惑な客でした。それは、店に着くのが閉店後の後片付けの時間ですから当然です。そこからは、従業員を帰した後の店主と一対一で過ごす時間です。年に数回でしたが、飲食後に事務所に戻って仕事の残りを片付けたこともありました。こういう生活は今でいう「ON、OFF」の無い何とも切れ目のない、実態としてはマイナス要素の多いものでした。なんとかするには、会社を辞める他に道はありませんでしたので、考えた末に辞めました。その後も、3年間に身に付いた習慣は身の回りの状況が変わっても替わることはありませんでした。以降、13年間会社が替わっても「飲食」に関しては同様の生活を続けてしまいましたが、ここで思い切って会社を辞めて「考える時間」を持とうという結論に辿り着き、6ヶ月ほどブラブラしていた時に「このままでは?」と思うようになり、やっと生活を切り替えようという気持ちが「芽生え」てからの10年間は、それまでの生活習慣が何だったのだろうかという替わりようであった。車が好きで、仕事でも自家用車で出張することがあたりまえであった私が、車を手放して毎日どこへ行くにも自転車の生活に変えました。約3年ほどの間、毎日35Kmの走行を目標にしていましたが、100Kgを越えていたためジョギングなどでは膝に負担が罹ると思い自転車での減量を選択しました。効果は6ヶ月過ぎ位してからでしたが、それとほぼ同時に食生活も改善して夜型の生活から一変して自宅以外での飲食を一切辞めたおかげで友人知人との交際も激減し、思うように自分をコントロールできるようになり3年後には、80kgまで減量できましたが自分としては数字ではなく「生活習慣を根本から変える」ということしか考えていませんでしたので、この生活を以後も続けました。さらに、3年後には63kgまで体重が減り「かかりつけの医師」から逆に「ドクターストップ」が掛かってしまい自転車での長距離の運動などは止めました。この頃には生活習慣が安定していましたので、運動を止めて時間を持て余しても以前のような生活に戻ることはありませんでした。ここ3年程は、血圧や尿酸なども正常値の範囲内で安定し徐々に薬の量を減らしていますが変化を認めない状況になりました。「飲んでも一向に効かない薬」ではなく、「飲んでも効かない体」だったことを実感する日々です。その後も買い物などで一日に10Km程度は欠かさず乗るように心がけています。