私の筆無精と電話嫌いは現実に顔が見えない相手との会話が嫌いなことによるものですが、この「性格」が今もって変わることなく続いていることによって「壁」に突き当たることがよく起こります。電話で一言か二言で簡単に伝わることでもそう遠くない所ならば迷うことなく直接訪問して話をしに行ってしまいます。大抵は「電話で良かったのにわざわざ来なくても」と言われてしまいますが、私自身は面倒とも感じることなくごく自然に行動しているだけなんです。しかし、この行為を負担に感じ取る人もいて明らかに「迷惑」がる素振りを見たときには私自身「人それぞれの考え方」を理解して反省を試みるのですが「持って生まれた性格」のためなかなか変えることが出来ません。仕事を辞めた10年ほど前に携帯電話の所持も止めました。いくら私が電話嫌いでも仕事に支障があってはならないこともあり、迅速な対応をするためにも不可欠な物でした。しかし、仕事を辞めてすぐに購入店へ処分をお願いしました。その後は仕事以外での使用はしていませんでしたので何の不自由もなく生活していましたが、最近では連絡手段というと携帯電話が普及率からいっても当たり前になっており、何かというと携帯の番号を聞かれることが多く「所持していません」と答えると怪訝な顔をする人も多く見受けられるように変わってきているため、無駄と知りつつも仕方なく二年前から持ち歩くようになりました。

しかし、すぐに必要性が現れましたが余り歓迎したくない理由で、父親が突然倒れて「緊急治療室」に入りました。容体急変時のため携帯番号を登録するというものでした。心臓病で危険な状態のため日中は病院に詰めていましたが帰宅を促されて自宅に戻ると携帯が鳴り「至急!来院してください」という連絡が10回ほど有りその都度駆けつけましたが、自己呼吸を回復してから5日目に息を引き取りました。その日に葬儀社を経営している友人に葬儀などの手配をお願いして以降、携帯を使うこともないまま所持していましたが、昨年は一度も使用することがありませんでした。時折時間を確認する時に待ち受け画面を見る程度ですから、街中で待ち受け画面ばかりに集中しながら行動している人々の神経は理解できません。今の世の中では私のような考えを持つ人間は少数派で「世捨て人」の扱いをされる可能性さえ感じることがありますが、現時点で自分はどういう状況の中で行動しているのかを常に把握しているつもりでも、一瞬の気の緩みだけで事故は起こってしまいます。そういうことを理解している筈の人々が、自転車や車を運転中や徒歩で移動途中であろうと「じーっと」目を凝らして集中している状況は、自分一人だけでの世界でしか通用しない極めて危険な行為であることを理解していないものです。以前「赤信号みんなで渡れば怖くない」というフレーズが流行したことがありましたが、みんながやっているんだからでは理由にはなりません。私の場合、買い物でも売り手と買い手の何気ない会話が必要だという気持ちは現在でも変わっていません。そういうこともあってか?未だに自販機での買い物が苦手です。当然ながら缶コーヒーなどは=(イコール)自販機で買ってくるもの!ということで大嫌いですし、若い頃からパチンコ、インベーダーゲームなど「チャリン」と100円玉を機械の投入口へ入れるものに対して拒絶反応が出てしまい、一度も遣らずにきました。時代も昭和でしたから一般の個人経営の店舗などが殆どでタバコや飲み物の自販機も置いてはありましたが、隣接する店舗での販売が主で24時間販売の対策として置かれている場合が殆どでしたから、私は主義を曲げずに今日まで生活を続けてくることが出来ました。最近では我が家の近くでも一般の店舗は姿を消し、跡地に自販機が設置されている姿も多く見受けられますが、すぐに更地にしないと土地の買い手ばかりか借り手さえも現れない状況で、誠にもったいないことなのですが仕方のないことのようです。更にチェーン展開する企業グループの一員ともなれば、人的や物的の両面で同一規格の受け入れが絶対条件で、お仕着せの言葉以外は禁止されてしまいます。日常会話の基本とも言える「おはよう」、「いい天気ですね」さえ禁句のコンビニやファミレスが世の中の主流になってしまいました。これでは自販機と何ら変わるところがありません。まったくの無言は最悪ですが、時間帯に関係なく一方的な「こんにちはー」もどうかと思います。もっとも最近では「いらしゃいませ温かい飲み物はいかがでしょう」などいくつかのパターンが録音された音声を流す自販機も登場しているようですが、多少なりとも改善の兆しと見るべきかは疑問です。単なる技術のお披露目と物珍しさを狙っただけに過ぎない物でしょう。現在の食生活を支えてくれている店舗は、大手企業グループの生鮮スーパーでありながら、レジ担当者が一般客と日常会話をしながら手早く処理を続ける姿を見ることの出来る数少ない形態をとっているところなので他の店舗には行くことが無くなりました。古い店舗をリニューアルしたと同時に変わりましたので、従業員が勝手に規則を破っているものでは無く、本部サイドでの承認があってのものだと思います。私も以前仕事上で金銭を管理していた時期がありましたが、真剣にやっていても毎日のこともあり合わなくなることが起きてしまいます。この負担を少しでも軽減するためにリニューアル時にレジ自体も最新型の貨幣を自動で読みとって、釣り銭も出てくるものに替えたようなので本部サイドの理解がなければ出来ることではありません。最近では親子の会話ばかりではなく、あらゆる社会環境の中でのごく自然に続いてきた物が失われつつあります。地方都市でもご近所付き合いが無くなっている現状は悲しい未来を予感させます。個性を云々といいながらも、めまぐるしく変化する社会を画策している一部の知識人に翻弄されて、右往左往している人々が余りにも多い現状にはほとほと嫌気がさします。しかし与えられた人生を無闇に悲観ばかりもしてはおれませんから、自分自身で楽しみを探して生きていくことしかありません。

私の現在の楽しみと言えば毎日レコードを一枚聴くこと、庭いじり、ホームページの制作ですが、12年前に趣味としてのパソコンを始めてから、約2年間に渡りHTML記述方法の専門書を先生にして独学で習得しました。しかしインターネットを利用してホームページを公開する事などを考えていた訳では無く、今まで写真帳の台紙上で表現していたものをパソコンのモニター上でより自由な表現をしたいためでした。どちらかと言えば、当時はインターネット接続が電話回線を利用しているというだけで拒絶反応を起こしたことで、この2年間でさえもインターネットを閲覧したことがありませんでした。ゲームのようなことをするだけの世界と勝手に想像していたことからも、拒絶反応がいかに強いものであったか分かると思います。その後、知人からインターネットとはこういうものであるという話を聞く機会があり「それじゃー」やってみてから判断しようと、急速に展開が変わりホームページの制作を始めたものでした。しかし個人で制作してネット上で公開されているいる内容が、単なる自慢や意味不明の物などばかりが目立っている姿を見て、魅力を見いだすことが出来ず5年程遠ざかってしまいました。その後友人と偶然再会した時に、まだハードディスクが無い時代からコンピューターに精通していたことを思い出し相談したことがきっかけで、インターネット回線の向こうにいる人のことを考えずに、楽しみかたは色々あるので自分が楽しいことのみ選択してて行って人様に迷惑が掛からなければよいのではないかと、再びやる気を起こして再開準備を始めました。それは自宅にサーバーを設置してインターネット回線接続を行い公開するというものでした。彼から専門書を借用して2ヶ月掛かって何とか理解できたので再開しました。彼は間違ったことをしていると教えてくれますが、やり始める前に聞いても何も教えてはくれません。私も同じ考え方で最後まで聞かずにがんばりました。再開して2年6ヶ月経ちましたが、現在では自宅サーバーからレンタル・サーバーに移行したことで、パソコン自体や通信設備を含めた機器に高性能なものは必要なくなり、更に予備機材の心配などもしなくて済むようになりました。単純にホームページ制作の事だけを考えていればいいようになり、庭いじりの時間的な余裕が生まれました。現在では「レコード鑑賞日記」と「庭いじりを中心とする日常日記」の2つのブログを毎日更新していますが、私のブログやホームページを閲覧してメールが届くことがあっても、公表しているアドレスに直接いただいたメールに対しては必ず返信を出していますが、それ以外は無視することにしています。私は住所や氏名など全てを公表しているにも関わらず、プロバイダ以外のメールアドレスやIPアドレスさえも隠している人からのメールは削除しています。インターネットという相手が見えない世界では当然のことだと考えています。先日始めたTwitterも?マークの印象です。